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日々のこと

20180525

この前映画を見ていた。英国王のスピーチって映画のなかで一番好きかもしれない。バットマンシリーズも好きだけど。DVDを持ってるのにあえて小さい端末でごろごろしながら見てた。


吃音症の王様が友達の力で吃音を治していく話。
最初は医師と患者としての態度を崩そうとしないバーティーは、友人として対等に話をしようとするライオネルに徐々に心を開いていく。
すごく良い話なのにいつも上手く感想が書けないな。

劇中バーティーの父親が死んだあとライオネルと2人で話をするシーンが好きだ。父親を恐れていたことや家族に吃音をからかわれたこと、乳母に嫌われていじめられていたこと、無理矢理矯正された左利きやX脚のこと。ライオネルは特に何も言わない。慰めたりもしない。優しい顔でちゃんと聞いている。治療じゃなくて友人同士が会話をするシーンにしか見えない。
話終わったあと、ライオネルに友人の定義を問われたバーティーは、分からないとしか答えることができない。分からないのは自分の個人的な話を聞いてくれる友人が周りにいなからだと分かる少し悲しいシーンだ。


癇癪持ちなバーティーは劇中ライオネルにひどいことを何度か言う。オーストラリア人のライオネルに差別的なことを言ったりもする。ライオネルは傷付いかないのか不思議に思ってしまうシーンだ。
差別的なことを言うバーティーの気持ちも言われたことに憤慨せずに付き合っていくライオネルの気持ちもなんとなく分かってしまう。

バーティーは王様になりたくない。自分には無理だと泣くくせに、王族というアイデンティティでずっと生きてきた。対等な友達と語らうこともなく孤独な彼を守るのは誇りだ。自分は王族だという誇りで一生懸命生きてきたから、自分を守るためにそれを主張してしまう。
ライオネルは治療を通して知ってしまった、王様としての彼ではない愛情深くて努力家なバーティーが、コンプレックスをきちんと克服して成功するのを友人として願ったのだと思う。


最後にバーティーはラジオで開戦のスピーチを成功させる。皆が彼の声をきちんと聞いているとても良いシーンだ。ライオネルに友よありがとうときちんと伝える。自分の声で話ができてそれがちゃんと伝わることを知れたのはすごく素敵なことだ。
長年抱えていた悩みが一人の人のおかげで解消してしまうことってある。人生においてそのときに絶対必要で、その人がいなかったら今の自分はいないって人はいる。私は平民なのにそれを知ってるから、幸せなんだろうなと思う。


友人の定義を考えながら見ていた。
人間関係は定義づけしようとすると難しいことが多くなる。私は、自分の話したいと思ったことを飾ることなく素直に伝えられるのが友人だと思っているからこの映画が好きなのかもしれない。伝わらないかもとか、話してもつまらないだろうって思わない相手。ためらわないでちゃんと話せて、ちゃんと聞ける相手。


私は友人が多くないけれどそれを恥じたことはない。きっとコミュニケーション欲が満たされているからだろう。話したいときに話して、ちゃんと返ってきて、相手のことを知りたいと思える相手がいるからだろう。
それってきっと大事にしなければいけない取り替えのきかないものなんだろうなって考えていた。